小澤陽子
舞踊家・振付家。日本のインド古典舞踊界のパイオニア。
1983年1月にカルカッタ(現コルカタ)で観たダルパナ・アカデミー(Darpana Academy of Performing Arts)の舞台の素晴らしさに強烈な衝撃を受け、同年6月、著名な舞踊家・振付家であるパドマブーシャン・グル・ムリナリニ・サラバイ(Mrinalini Sarabhai)氏(2016年1月ご逝去)が主宰する同アカデミーに留学しました。そこで、サラバイ氏とグル・マヘーシュワリ・ナーガラージャン(Maheshwari Nagarajan)氏からバラタナティヤムを学びました。
1日8時間の個人レッスンを受け、バラタナティヤムの高度なテクニックと厳格な型を驚異的ともいえる速さで修得。通常開催まで7、8年かかるというデビュー・ソロリサイタル(アランゲットラム)を僅か9ヶ月後の1984年3月22日に開きます。その後、ダルパナ舞踊団の一員としてインド各地の公演に参加し、インドの古典舞踊ファンの間でも高い評価を得ました。
◆インドの新聞に掲載されました。The Telegraph, Calcutta, Saturday 31st March 1984
サラバイ氏に正式に許可され、ダルパナ・アカデミー・ジャパンを1984年11月に設立。1985年1月の帰国リサイタル(京都)を皮切りに、まだインド古典舞踊があまり知られていない日本での活躍が始まります。日本全国でインド古典舞踊の多彩な魅力を舞台で表現。エネルギー溢れるその生き生きとした舞台や自主公演に定評がありました。
1987年10月にさらに再渡印し、クチプディの第一人者であるパドマブーシャン・グル・ラージャー&ラーダー・レッディ(Raja & Radha Reddy)夫妻に師事し、厳しい指導を受けます。また、オディッシーをグル・クムクム・ラール(Kumkum Lal)氏、パドマシュリー・グル・マヤドール・ラウト(Mayadhar Raut)氏に師事し、Jayantikaの舞台にも立ちました。その後、三種類の古典舞踊を踊り分ける稀有な舞踊家として活躍しました。
振付家としても、インド古典舞踊のスタイルを崩すことなく、次々と新しい分野へ挑戦し、TVコマーシャル、TV番組、小学生向けの運動会の振付等、その才能を広く発揮しました。
ダルパナ・アカデミー・ジャパンでは、数多くの門下生も育てました。それは今のティラナへと継承されています。
2007年7月22日永眠。陽の花ひまわりの季節でした。
- ダルパナ・アカデミー:1949年にアフマダーバードにてサラバイ氏によって設立されたインド有数の舞踊学校。現在は、氏の娘であるマリカ・サラバイ氏が主宰。バラタナティヤム、カタカリ、クチプディ等の古典舞踊や、古典音楽、その他幅広い分野での民族芸能を指導している。舞踊団として日本を含む40ヶ国以上での海外公演を行っている。創作舞踊劇に定評がある。なお、サラバイ氏はインド政府からパドマシュリー、パドマブーシャンの勲等を授与されている。
- グル・ラージャー&ラーダー・レッディ:クチプディを代表する世界第一級のダンスデュオ。ニューデリーを中心に活動し、舞踊学校にて後進の育成にも尽力。2000年の来日公演では日本のファンを魅了した。インド政府からパドマシュリー、パドマブーシャンの勲等を授与されている。
- グル・クムクム・ラール:類い稀な才能をもつオディッシー・ダンサー。日本滞在中に多くのダンサーを育て、日本のオディッシーの普及に大きく貢献した。2014年に再来日。氏を慕う多くのダンサーがつどった。
- グル・マヤドール・ラウト:著名なオディッシー指導者・ダンサー・振付家。オディッシーの再生に尽力し、ニューデリーにて後進の育成に力を注いでいる。インド政府からパドマシュリーの勲等が授与されている。
Darpana Academy Japan
ダルパナ・アカデミー・ジャパンは「日々真剣にインド古典舞踊の研鑚が積める場」となるよう、強い信念のもとに、小澤陽子によって1984年に設立されました。この名称は小澤の学んだアフマダーバードのダルパナ・アカデミーより正式に授与されました(なお、この名称は小澤陽子没後にサラバイ先生にお返ししました)。大きな舞台での自主公演や迫力のある群舞に定評があり、和太鼓とのコラボレーションや創作舞踊にいち早く取り組んだ革新的なイベントの数々は他に類をみないものでした。
<主な公演>
- 2005年4月 世田谷パブリックシアター「結 -you-」
- 2003年4月 世田谷パブリックシアター「春雷 -shunrai-」
- 2002年9月 草月ホール 「奏 -so-」
- 2001年6月 草月ホール 「瞬 -shun-」
- 2000年6月 草月ホール 「大地の響き」
- 1999年3月 東邦生命ホール インド古典舞踊ダルパナ・アカデミー・ジャパン春公演
<主なテレビ出演>
<茶話会>
2005年から2007年3月までは、数ヶ月に1度「茶話会」と称するアットホームな会を開催。茶話会は、踊りを披露したその後に、お客様と踊り手が一緒に「ダルパナ特製チャイ」を片手に気軽にインド古典舞踊について語り合うというものでした。ホールでの公演とはひと味違う「サロン」のような形で、インド古典舞踊の魅力を伝えようとした小澤陽子晩年の試みでした。
Alumnae of Darpana Academy Japan
ダルパナ・アカデミー・ジャパンを巣立ったダンサーたち
三浦 恭子 Kyoko Miura/Kokira
小澤陽子氏に師事した後、ダルパナ・アカデミーに留学。帰国後はインド舞踊グループNKK(Nritya Kala Kendra) Japanを主宰し、2011年には15周年を迎えました(その後解散)。類いまれな身体能力をもち、小柄な身体からは想像できない程パワフルで感情表現が豊かなダンサー。バラタナティヤムの素晴らしさがぎゅっとつまった踊りは圧巻です。
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「道」(2013年8月)でティラナと共演。お写真はその時のものです(写真:宮津かなえ氏)。2017年10月には共に妻沼聖天山で舞踊を奉納しました。
毛塚 七重 Nanae Kezuka
小澤陽子氏のもとでバラタナティヤムを学ぶ。 その後オリッシーを安延佳珠子氏に師事。2016年早春より、ブバネーシュワルに通いながら、グル・リンガラージ・ プラダーン氏のもとで研鑽をつんでいる。 紡ぎだす世界観に観るものを惹きつけるオリッシー・ダンサー。
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しばしば活動を共にしている七重さん。その踊りの進化は私たちのお手本であり、安らぎであり、心の支えです。お写真はティラナ10周年記念公演(2018年1月)にゲスト出演してくれた時のものです。